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最高裁判所第三小法廷 昭和48年(あ)1231号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件控訴を棄却する。

原審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

検察官の上告趣意第一点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案を異にし本件に適切ではなく、同第二点は、憲法二八条違反をいうが、その実質は単なる法令違反の主張であり、同第三点は、単なる法令違反の主張であつて、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権をもつて調査すると、本件公訴事実の一部につき逮捕罪の成立を認めて被告人を有罪とした第一審判決に対し、その事実の認定に誤りはないとした上で、右の逮捕行為は実質的違法性を欠き罪とならないとする見解のもとに、第一審判決を破棄して被告人の無罪を自判した原判決は、以下に述べる理由により、結局破棄を免れない。

一原判決は、第一審判決判示の「罪となるべき事実」につき、外形的事実の判示に関する限り事実誤認の疑いはないとしてこれを是認したが、右判示部分は、同じく第一審判決判示の「事件の背景」を正しく認識することなしには的確に理解し評価することができない。よつて、この点につきその判示に即してこれを要約すれば、

(1)  図書、雑誌、週刊誌の出版を業とする株式会社光文社(東京都文京区音羽二丁目一二番一三号所在、以下「光文社」という。)には、かねてから同社従業員をもつて組織する光文社労働組合(組合員約一五〇名、以下「光労組」という。)及び光文社記者労働組合(組合員三七、八名、以下「記者労組」という。)の両組合が結成されていたが、昭和四五年ごろ右各組合と光文社との間に労働争議が発生して、右各組合は同年四月一七日から無期限ストライキに突入し、光文社は同年六月一一日ロックアウトを通告するなどして紛争を重ねるうち、同月二七日、光労組の方針に批判的な一部組合員は、全光文社労働組合(以下「第二組合」という。)を結成し、即日光文社と団体交渉の結果、就労につき合意に達して業務を再開した。第二組合の組合員数は同年七月初めごろまでに一二二名に達し、光労組のそれは三七名に激減した。被告人は、光文社の記者であつて記者労組に属していた。

(2)  同年六月二九日、光労組、記者労組及び主として学生アルバイトから成る光文社の臨時従業員約二五名(のちに光文社臨時労働者労働組合を結成し、これを臨労組といい、右三組合を「第一組合」と総称する。)は、就労宣言を発してストライキを解除し、他方、光文社は、同年八月一〇日にロックアウトを解き、第一組合員に対し個別に出社を命ずるに至つたところ、第一組合は、組合の切りくずしをねらう光文社側の不当労働行為であると反発し、同組合員中三名を除く全員がいわゆる指名ストにより就労を拒否して光文社に対抗し、更にそのころから第一組合を支援する他社の組合員が結成した光文社闘争支援共闘労働者会議(以下「光共闘」という。)の応援をうけて、各週、三、四回、光文社社屋前路上において第二組合員に対するピケッテイングを開始し、これを実力で排除しようとする警備員との間に多くの負傷者が出るに及び、第一組合員も警備員を旗竿で突いたり投石するなどして、しばしば警察官の規制をうけ逮捕される等の事態を招き、労使間の紛争が深刻化した。

(3)  この事態のもとで、第一組合員は、光文社社屋前でピケツテイングや集会、デモ行進などをつづける一方、出勤途上の第二組合員を付近のバス停留所などで待ち受けて説得するピケツテイング活動を行つていたが、第二組合員のうちには、右のピケツテイングを避けて午前九時三〇分の就業開始より相当早い時刻に出勤する者もあるところから、昭和四六年二月三日の第一組合と前記光共闘との会議においては、翌四日午前六時三〇分ごろ合計十数名の第一組合員及び光共闘に属する労組員が光文社前に集合して第二組合員の出勤に備える旨の方針を決定した。かくして被告人は、同日早朝所定の時刻ごろ、十数名の労組員らと共に光文社正面玄関付近路上に集合し、同社前を南北に通じる音羽通りを南北両方向から出勤してくる第二組合員に対しピケツテイングを実施するため、その場で二手に分かれ、被告人及び光共闘に属する労組員五名は、音羽通り南方から出勤してくる第二組合員の説得にあたることとした。当時、光文社警備員五名も乗用車で出勤し光文社内に入つたが、被告人らはそのままその場で待機するうち、同日午前七時四〇分ごろ同社総務部副部長で第二組合に所属する城井睦夫(当時五〇年)が音羽通りを南方から徒歩で出勤してくるのを認めた。他方、右城井においては、被告人らの姿を望見して就労することを断念し、直ちに引き返そうとしたというのであつて、このとき同人は被告人らに対していわゆるピケ破りその他なんらかの妨害的な言動に出たわけではない。

(4)  ここにおいては被告人は、城井に対し、同人が第二組合に加入した理由を問いただし、また会社が警備員として暴力団員を雇つていること及び第一組合に解雇者が出ていることに関して話し合い、同人から意見を徴するとともにこれらに反対の意思を表明することを求めて同人を説得しようと考えたが、前記警備員による妨害を免れるため、ほか五名の労働組合員と共謀の上、右城井をその場から他所に連行しようと企て、歩道上を歩いてきた同人に近寄り、いきなり同人を取り囲み、うち二名において両側からそれぞれ同人の腕をつかまえ、被告人において「実力ピケだぞ、あんたは会社に入れないんだ。どうしてこんなに早く来るのだ」と申し向け、同人が「入れないんだつたら帰ればいいんでしよう」といつて引き返そうとするや、前記の二名においてそれぞれ同人の脇下に手をさし入れて同人を抱え上げながら前方に引つ張り、ほかの一名において同人を後方から押し、同人が両腕を前方につき出し、腰を低く落として連行されまいと抵抗するのも構わず、同所から音羽通りを横切り同区音羽二丁目一一番先金輪マンシヨン工事現場付近歩道上まで約三〇メートルをひきずつたあと、さらに同人の両脇下に手をさし入れたまま引つ張り、後方から押すなどして同所から小路に入り、お茶の水女子大学裏門前を経て二〇〇メートル余の距離にある山品建設株式会社前歩道上まで強いて同人を連行し、もつてその間同人の身体の自由を拘束して不法に捕逮した、というのである。

二ところで、本件公訴事実によれば、被告人の連行目的による逮捕の所為は、同所から更に豊島岡墓地前、大塚三丁目交差点、お茶の水女子大学前、大塚窪町公園前を経て、同区大塚三丁目五番一号前大塚一丁目交差点に至る約一七〇〇メートルにわたり継続して行われたというのであるが、第一審判決が最初の二三〇メートル余の距離における被告人らの行為についてのみ逮捕罪の成立を認めたゆえんは、それ以後の場面においては、被告人らが用いた連行手段の態様にかんがみ、はじめの場面ほどに城井の行動の自由が奪われていなかつたものと解されるとし、その間に区別があることを認めたからにほかならない。これは、被告人らのため光文社から遠く離れた場所に拉致されることを極度に恐れた城井が、右判決摘示のとおりの状況のもとで、ある程度相手の話に応じる態度を示したことから、その後は被告人らにつきまとわれつつも腕を押さえられることもなく歩いているうち、大塚一丁目交差点において交通整理中の交通巡査を認めるや、にわかに走り抜けてその背後に抱きつき救いを求めるに及んで、被告人らの連行形態がここに断たれるに至つた経緯があることに基づくのであつて、この場合に、城井が終始はげしい恐怖心におそわれていたことは、事実に即して容易に肯認することができ、これを異常視すべき合理的理由はない。例えば、同人が更に被告人とともにその巡査に伴われ、大塚三丁目の派出所で話し合うこととして同派出所付近まで来たところ、現に交通整理の用務をもつ巡査が再び前記大塚一丁目交差点に折り返すため右派出所に両人だけを置いて離れることになるのを恐れる余り、突如、向い側の小石川消防署内に馳けこみ顔見知りの消防署職員に対して警察への連絡を依頼したなどの一連の行動についても、現実に本人が体験した精神状態に想到するとき、これをもつて意図的に非常識な挙動に出たもののように断定、非難しうるわけのものではないのである。

三そこで、第一審判決は、被告人の本件所為をもつて可罰的違法性を阻却するものであるとか、正当な争議行為にあたるとか主張する弁護人の所論に対し、本件争議における会社側の態度をも適切に批判するとともに、法秩序全体の見地から実質的、具体的に判断して、人の身体及び行動の自由が最大限に尊重されるべき法益であることを説き、本件のような逮捕行為までがやむをえない手段として正当化されるものではないゆえんを明示しているのである。これに対して原判決は、一方において身体及び行動の自由の最大限の尊重をいい、また、目的が必ずしも手段を正当化するものでないことに言及し、第一審判決が本件につき逮捕罪の成立を認めた判断に一理なしとはいえないとして、被告人らの行為の不穏当を指摘しつつも、(イ) 城井が会社の付近まで来ながら被告人らの待機している状況を見て引き返しかけたことから警備員の妨害の及ばない場所で同人を説得しようと考えた結果の連行行為であること、(ロ) 同人に対する有形力の行使はその場所の選定に伴うきわめて短時間のことであり、身体に対する殴打、足げりなどの暴行はなく、その着衣その他に対してもなんら損傷を与えていない程度のものであること、などの点に着目した上、本件公道上の偶発的な出来事と思われるとして、これが果して危険な反社会的行為、特に刑法上の犯罪としなければならないほど常軌を逸したものといえるかどうか、すこぶる疑わしいと説くのである。しかしながら、これらの指摘は、本件が、労働争議に際し、不法にも実力をもつて人の身体及び行動の自由を奪い、正当な就労の権利を侵害したものであることの実質を洞察しないで、外形的な手順の現象観察にとらわれたことを示すものであつて、本件所為に対する可罰性の有無を決するに足る契機とすることはできない。原判決は、すでに第一審判決がこれらの点を考慮の上特に周到に当初の捕逮行為とこれに続く連行行為における態様とを区別したのに反して、本件所為の全過程を貫きうる違法性阻却の事由が存すかのように解するのであるが、これは本件における被害法益の評価及び行為の緊急性その他相当性の有無等に対する認識の相違に基づく異見といわざるをえないのである。

四結局、本件捕逮行為は、法秩序全体の見地(昭和四三年(あ)第八三七号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻三号四一八頁)からこれを見るとき、原判決の判示する動機目的、所為の具体的態様、周囲の客観的状況、その他諸般の事情に照しても、容認されるべきピケツテイングの合理的限界を超えた攻撃的、威圧的行動として評価するほかなく、刑法上の違法性に欠けるところはない。したがつて、原判決の判断には法令の違反があり、それが判決に影響を及ぼし、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものであることが明らかである。

よつて、刑訴法四一一条一号により原判決を全部破棄し、なお第一審判決は判断と結論においてわれわれの見解と一致しこれを維持するのが相当であるから、同法四一三条但書、三九六条、一八一条一項本文により被告事件について主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官関根小郷、同坂本吉勝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官関根小郷、同坂本吉勝の反対意見は、次のとおりである。

検察官の上告趣意が刑訴法四〇五条の上告理由にあたらないことは多数意見のいうとおりであり、かつ、記録を調べても本件は実質的違法性をいまだ備えていないとして無罪を言い渡した原判断が誤りであるとは認められないから、同法四一一条を適用すべき限りではなく、同法四一四条、三九六条に従い本件上告はこれを棄却すべきものである。

(天野武一 関根小郷 坂本吉勝 江里口清雄 高辻正己)

検察官の上告趣意

序説

一 原判決の要旨

原判決は「一審判決が『罪となるべき事実』として判示しているところは、外形的にはほぼ認められ、原判示に関するかぎり、事実誤認の疑いはないといえる。」とし、一審判決と同一の外形的事実を認め、さらに「逮捕罪とは、人の身体を直接に拘束する手段を講じ、その行動の自由を現実に奪うことで、通常その手段は、社会的常軌を逸した暴行または脅迫によると解される」としながら、「本件の問題点は、かような外形的事実があるのにかかわらず、逮捕罪の成立を否定しうるかどうかにある。この点については、かなり微妙な問題があり、逮捕罪の成立を認めた一審判決の判断にも一理ないとはいえない。」とし、さらに「本件は、――なお外形的には、逮捕罪にあたるようにみえるが、――被告人らの守ろうとした利益とその侵害した法益との権衡、労働組合法、刑法を含む法全体の精神からみて、果して危険な反社会的行為、特に刑法上の犯罪としなければならないほど常軌を逸したものといえるかどうか頗る疑わしく、……結局本件は、刑法二二〇条一項の『不法に人を逮捕』したという犯罪として処罰するに足りる実質的違法性をいまだ備えていないと解するのが相当である。」と判示して、一審判決を破棄し、被告人に無罪を言渡したものである。

その趣旨は容易に捕捉したいが、要するに原判決は、被害の程度、および被告人らの行為が比較的軽微であるとしたうえ、その行為の態様、目的等を総合して、被告人らの労働基本権の保障をもつて被害者城井の身体・行動の自由の保護より重しとし、この程度の暴行脅迫は被害者も受忍すべきものと判断して、本件行為は、実質的違法性を欠くものであるとし、無罪の結論に到達したものと思われる。

そこで本件の事実関係をみると、原判決の認めた一審判決によると、被告ら六名は、「歩道上を歩いて来た同人(被害者城井)に近寄り、いきなり同人を取り囲み、うち二名において両側からそれぞれ同人の腕をつかまえ、被告人において『実力ピケだぞ、あんたは会社に入れないんだ、どうしてこんなに早く来るのだ』と申し向け、同人が『入れないんだつたら帰ればいいんでしよう』といつて引き返そうとするや、前記の二名においてそれぞれ同人の脇下に手をさし入れて同人を抱え上げながら前方に引つ張り、ほか一名において同人を後方から押し、同人が両足を前方につき出し、腰を低く落として連行されまいと抵抗するのも構わず、同所(文京区音羽二丁目一二番一三号株式会社光文社前付近路上)から音羽通りを横切り同区音羽二丁目一一番先金輪マンシヨン工事現場付近歩道上まで約三〇メートルひきずつたあと、さらに同人の両脇下に手をさし入れたまま引つ張り、後方から押すなどして同所から小路に入り、お茶の水女子大学裏門前を経て二〇〇メートル余の距離にある同区大塚二丁目八番三号山品建設株式会社前歩道上まで強いて同人を連行し」たというものであつて、この事実に対して、一審判決は、逮捕罪を適用し、原判決も、「外形的には逮捕罪にあたるようにみえる」としているのである。

二 原判決の問題点

このような事実が認められるのに、原判決が何故にこれを無罪とするに至つたのであろうか。その理由について考察してみるに、原判決は、本件公訴事実を無罪とするについて、まず、逮捕罪の手段である暴行について「社会的常軌を逸した」という独自の絞りをかぶせ、社会的常軌を逸しない暴行は、逮捕罪の構成要件が予定しているほどの実質的違法性を有しないか、あるいは同罪の構成要件に該当しないとの前提に立ち、次に社会的常軌を逸したかどうかを、法益権衡の原則、労働組合法、刑法を含む法全体の精神をその尺度として判断する手法を用いたものと認められる。

しかしながら、暴行は、人の身体に対する不法な有形力の行使であり、また一方、人の生命、身体の自由、安全があらゆる他の基本的人権の保障の基礎をなすものであることを考慮するならば、それらの法益を侵害する行為は反社会的行為であることは明らかで、逮捕罪の手段である暴行について、社会的常軌を逸したかどうかを論ずることはそもそも無意味である。また、「社会的常軌を逸した」というような曖昧かつ抽象的な基準で暴行の意味について限定解釈をしようとすることは法の明確性を損うものであり、しかも逮捕罪の法益が人の身体、行動の自由であることにかんがみるならば、基本的人権の無視にもつながるものであつて、とうてい許容しがたいところである。

原判決は、「社会的常軌を逸した暴行または脅迫」の具体的形態について明示していないが、その前段において「城井の身体に対し殴打、足げりなどの暴行を加えていないのはもちろん、その着衣その他に対しても何ら損傷を与えていない程度のものである」と判示しているところからみれば、「殴打、足げり」などの定型的な暴行か、あるいは着衣その他に対しなんらかの損傷を与える程度の暴行でなければ「社会的常軌を逸した暴行」には当らないとするか、あるいは、その程度に至らない暴行であれば、事情の如何によつては、社会的に相当な行為として実質的違法性が否定されるものと思われる。もとより人の身体に対する有形力の行使が、スポーツや医療行為などのように社会的相当行為として違法性を欠く場合があり、また正当防衛、緊急避難等の理由により違法性を阻却することがあるのは当然であるが、右の事由に当らない限り、対立する法益の調整、権衡の配慮や、労働基本権の行使を理由として、安易に暴行罪の成立が否定されることはありえないのである。このことは、憲法二八条、労働組合法一条二項但書の解釈からも明らかであり、最高裁判所および高等裁判所の判例によつても明らかにされているところであつて、その理は暴行を手段とする逮捕罪についても同様である。いわんや「殴打、足げり」に至らない限り暴行に当らないというのであれば全くの暴論であり、反論の必要を認めない。「社会的常軌を逸した」という曖昧かつ抽象的な規準を逮捕罪の構成要件解釈に持ち込み、さらに労働基本権と個人の身体、行動の自由という基本的人権との調整を考慮するに際しての憲法解釈の基本原則を無視したところに原判決の基本的誤りがあるといわなければならない。

かりに、一般論として外形的に逮捕罪の構成要件にあたる場合においても、その動機、目的、行為の態様、法益の衡量等法秩序全体の精神から判断して実質的違法性が阻却される場合があり得るとしても、いやしくも人の身体、行動の自由を侵害する捕逮罪の成否に関する限り、きわめて慎重でなければらなないのであつて、本件のように、暴力の行使を手段とするものについてはこのことを考慮に入れる余地は認められないであろう。

三 上告申立の趣旨

右のような原判決の態度は、以下詳述するとおり、最高裁判所、大審院および高等裁判所の判例と相反する誤つた判断をなし、さらには憲法二八条の解釈を誤つたものであり、また、刑法二二〇条ならびに同法三五条ないし三七条の解釈と適用に重大な誤りを犯しており、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、しかも右の重要な法令の解釈適用を誤つた原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるから、刑事訴訟法四〇五条一号ないし三号、四一〇条一項および四一一条一号により当然破棄さるべきものと思料する。

第一点 判例違反

一 原判決は逮捕罪に関する判例に違反する

原判決は、被告人らの本件所為につき、外形的には逮捕罪の構成要件にあたることを認めながら、その身体拘束の手段である暴行が人を殴打するとか、足げりする、あるいはその着衣に損傷を与える程度の力で引つ張るといつた強度の暴行に至つていないと判断して、刑法二二〇条一項を適用しなかつたことは、逮捕罪についての次の大審院および高等裁判所の各判例と相反する判断をしたものである。

1 大審院および高等裁判所の判例について

(一) 昭和四年七月一七日大審院判決(集八巻四〇〇頁)は、養子縁組無効の民事訴訟事件の裁判において、被害者である原告甲が、原告本人訊問のため裁判所に出頭し、同構内の受付附近に腰掛けているのを、甲の訊問が行なわれると被告乙、ひいては自分に不利になるとして、「その場にて極力抵抗する甲を不法に捕え、之を引張り、その体を押へ等して、同裁判所正門外迄拉致したる行為は逮捕行為夫自体」であるとして、刑法二二〇条一項の逮捕罪の成立を認めている。

(二) 最高裁判所昭和四四年三月二七日第二小法廷決定(昭和四三年(あ)五七〇号、判例集不登載)が正当として支持している浅香山病院争議事件についての大阪高等裁判所昭和四三年一月三〇日判決(判例集不登載)は、争議中の組合員が同病院庶務主任を両側から両腕を抱え込み後から押すなどして同病院事務室から当時同組合員がピケ配置についていた同病院裏門付近まで約一七〇メートル連行した事件について、「右行為が正当な組合行動として許される範囲のものでないことは言を俟たない。」と判示して、逮捕罪の成立を認めている。

この事件は、争議中同病院の院長が所在をくらますなどしたため、病院側の態度に憤激した組合員がその所在等を追究するために、被告人両名が数名の労組員とともに被害者を取囲んで行なつたものである。

2 原判決の判断が右判例の判断と相反することについて

原判決の認定した本件逮捕行為は、「被告人ら六名で……いきなり同人(被害者)を取り囲み、うち二名において両側からそれぞれ同人の腕をつかまえ、……同人が引き返そうとするや、前記の二名においてそれぞれ同人の脇下に手をさし入れて同人を抱え上げながら前方に引つ張り、ほか一名において同人を後方から押し、同人が両足を前方につき出し、腰を低く落として連行されまいと抵抗するのも構わず……音羽通りを横切り約三〇メートルひきずつたあと、さらに同人の両脇下に手をさし入れたまま引つ張り、後方から押すなどし」たというものであつて、右の大審院判例や高等裁判所判例に照らせば、明らかに逮捕罪の成立する場合である。それにもかかわらず「城井の身体に対し殴打、足げりなどの暴行を加えていないのはもちろん、その着衣その他に対しても何ら損傷を与えていない程度のものであり」、「さらに被告人らには、右のような暴行脅迫を加える意思も、そのような行動に出た形跡もなかつたとみられる」として、逮捕罪の成立を否定していることは、この逮捕罪の通常の手段である「暴行」を、「社会的常軌を逸した暴行」としてことさらに制限的に解釈しているからに外ならない。

右大審院判例の事案は、被害者甲は六一才の老婆ではあるが、一対一の事案であり、本件は、被告人ら六名が被害者である城井一名を取り囲んで抵抗するのを拉致したものである。また、浅香山病院争議事件の事案は数名で取り囲み両脇から被害者の腕を抱え込み、後ろから押すなどして約一七〇メートル連行したというのであつて、その態様からみれば、本件暴行の方がはるかに強度であるということができる。しかるに本件について逮捕罪の成立を否定した原判決は、刑法二二〇条一項の解釈適用を誤り、前記大審院および高等裁判所判例の判断に反した判断を示したものであつて、とうてい破棄を免れない。

二 原判決は、「暴力の行使」に関する判例に違反している。

原判決が、被告人の本件所為につき、その動機、目的、行為の態様、法益の比較権衡等各種の事情から、犯罪として処罰するに足りる実質的違法性をいまだ備えていないと判断して、刑法二二〇条一項を適用しなかつたことは、「暴力の行使」に関する左記の最高裁判所、大審院および高等裁判所の各判例と相反する判断をしたものである。

1 最高裁判所、大審院および高等裁判所の判例について

(一) 大審院の判例

日光鉱由争議事件についての大審院昭和八年四月一五日判決(大審院刑集一二巻五号四二七頁)は、争議中使用者側の者が連絡のため電車に塔乗しようとするのを阻止するため労働者側においてその被服をつかんで引つ張り、あるいは被害者を数人で取り囲んだ事案について、「刑法二〇八条にいわゆる暴行とは人の身体に対する不法なる一切の攻撃方法を包含し、その暴行が性質上傷害の結果を惹起すべきものとなることを要するものにあらず、しかして人が電車に塔乗せんとするに当り、不法にもその被服を掴みて引張り、あるいはこれを取り囲みて身体の自由を拘束し、その電車に塔乗するのを妨ぐることきは人の身体に対する不法な攻撃に外ならざるをもつて、原判決が暴行罪をもつて処断したるは正当」である旨判示している。

右の事案は、被害者が話合いの場から逃避するものと判断した加害者らが、これを阻止しようとして暴行に及んだものであるが、その態様は、「殴打、足げり」等の定型的なものではなく、着衣その他に対しても何ら損傷を与えていない程度のものである。

(二) 最高裁判所および高等裁判所の判例

(1) 福島県教組事件についての最高裁判所昭和三七年一月二三日第三小法廷判決(刑集一六巻一号一一頁)は、教職員組合の勤評闘争中、同組合の役員が右闘争に非協力的な組合員を教室から連れ出そうとして、強いてその手首を掴み、その場に倒れた同組合員の手を掴んだまま廊下に連れ出し、さらに約六米隔つた同校資料室まで連行した事案について、「右のごとき暴行は社会通念上許された範囲を逸脱するものであつて、これを正当な行為であるとはいえない。」と判示し、公務執行妨害罪の成立を認めている。

右事件は、組合大会で正式に決定された前記闘争に参加することを肯えんじなかつた組合員に対する詰問ないし説得のため行なわれたものである。

(2) 最高裁判所昭和四〇年一〇月二九日第二小法廷決定(昭和四〇年(あ)二〇七号、判例集不登載)の支持している大宮ろう学校事件についての東京高等裁判所昭和三九年七月二二日判決(下級刑集六巻七・八号八〇三頁)は、組合側の団体交渉に応じないで帰宅しようとした校長の背後から両腕を掴んで引つ張り、前から背広前襟を掴んで一、二度ゆさぶつて暴行を加えた事案につき、「校長に対し団体交渉をする必要が急に迫つていたこと、従来校長の不当に団体交渉を拒否していたこと等の事情があり、当日の被告人の暴行の目的が校長をして団体交渉に応ずるよう引きとめるためのみのものであつたとしても、本件のような暴力の行使が団体交渉のためには社会通念上許容される程度のものとして違法性を阻却されるいわれは毫もあり得ない。」と判示して、暴行罪の成立を認めている。

(3) 久留米郵便局事件についての福岡高等裁判所昭和四四年一一月七日判決(昭和四四年(う)三八八号、判例集不登載)は、全郵政労組の組合員が足をふん張つて同行を拒む全逓労組の組合員の手を掴み約三米引つ張つた事案について、「暴行罪における暴行とは人の身体に対する有形力の行使であつて、その攻撃方法は殴る蹴るだけの定型的暴行のみに限定されるものではなく、前示のごとく相当の力をこめて人の手を引張ることも暴行に該当するものと解すべきである。……本件は暴言をはいた被害者を謝らせるため階上へ連れて行こうとして、同人が拒むのを無理に引張る所為に及んだものであり、結果においても痛みを憶えて治療を要した程の引張り方であつたことに徴し、その実質的違法性が構成要件該当性を欠くほど微弱なものであつたとはいいがたく、明らかに不法な有形力の行使というべきであつて、いわゆる可罰的違法性を欠くものとは到底解されない。」旨判示している(最高裁判所昭和四五年二月一二日第一小法廷上告棄却決定昭和四四年(あ)二四六〇号)。

2 原判決の判断が右判例の判断と相反することについて

これらの判例および前に挙げた浅香山病院争議事件の大阪高等裁判所判決は、それぞれ「被服を掴んで引張り、数人で取り囲む」(日光鉱山争議事件)、「倒れた組合員の手を掴んだまま連れ出す」(福島県組教事件)、「両腕を掴んで引張り前から背広の前襟をつかんで一、二度ゆさぶる」(大宮ろう学校事件)、「足をふんばつて同行を拒む組合員の手を掴み約三米引張る」(久留米郵便局事件)、「両側から両腕を抱え込み後から押し、約一七〇米連行した」(浅香山病院争議事件)等の事案について、正当な労働組合の行動として許される範囲を逸脱しているとして、暴行罪、捕逮罪等に問擬しているのであるが、これら判例は、身体の自由、安全を侵害する有形力の行使である限り、労働組合法一条二項但書の「暴力の行使」に当り、いかなる場合においても労働組合の行為として正当とされることはないとの趣旨を明らかにしているものと解される。そして殴る、蹴るだけの定型的暴行のみに限定されず、相当の力をこめて人の手を引張るがごとき行為も暴力に当ることは、右久留米郵便局事件についての福岡高等裁判所判決の判示するとおりである。

本件における逮捕罪の手段としての暴行の態様は、まさに右の諸判例の摘示する態様と同様のものであり、原判決は、逮捕罪の手段である暴行に恣意的な限定解釈を加えて逮捕罪の法益を不当に軽視し、労働組合法一条二項但書の法意を看過したため、右諸判例と相反する判断をするに至つたものであり、とうてい破棄を免れないと思料する。

三 原判決は、ピケツテイングに関する判例に違反する

本件の動機、目的は、原審認定によれば、「ピケツテイングの一環として実行された争議行為」(一審判決)としての話合いないしは説得であり、その説得を有効に実施するための場所の選定のためとされている。本件の目的が単なる話合いあるいは説得にあつたとするには疑問がないではないがそれはそれとして、本件の連行行為がその話合いまたは説得を有効に実施するための場所の選定に伴うものであつて、説得行為として社会的に許容されるものであるとしたものであるならば、原判決は、明らかに最高裁判所のピケツテイングに関する判例と相反する判断をしたものである。

1 最高裁判所の判例について

羽幌炭坑事件についての最高裁判所昭和三三年五月二八日大法廷判決(刑集一二巻八号一六九四頁)は、ピケツテイングにつき威力業務妨害罪の成立を認めたものであるが、同判決が正当として支持した一審判決は、「看視、説得の範囲を超えて暴言を浴びせ又はスクラムを組んでこれを押し返し又は通行の自由を妨害し或は出炭業務を妨害するとか又は威嚇的言辞を弄して判断の自由を害するが如きは、相手方が脱退者たると否とを問わず平和的ピケツトラインということはできないのであつて許されないものである」旨判示しており、右大法廷判決が、同盟罷業の本質論に立脚し、その手段、方法を逸脱したものとして、ピケツテイングの正当性の限界について判断しているのにかんがみ、最高裁判所も右一審判決と同様、説得の限界を超えるピケツテイングは違法とする見解に立つているものと解される。

このピケツテイングについての見解は、横浜駐労事件についての昭和三三年六月二〇日第二小法廷判決(刑集一二巻一〇号二二五〇頁)、新潟電産事件についての昭和三三年一二月二五日第一小法廷判決(刑集一二巻一六号三五五五頁)、四国電産事件についての昭和三三年一二月二五日第一小法廷判決(刑集一二巻一六号三六二七頁)、嘉穂鉱業事件についての昭和三五年五月二六日第一小法廷判決(刑集一四巻七号八六八頁)、八戸鉱業事件についての昭和四二年三月一六日第一小法廷判決(昭和四一年(あ)一七八〇号、判例集未登載)などの最高裁判所判例に引きつがれ、確定した判例法理となつている。

2 原判決の判断が右判例の判断と相反することについて

しかるに本件においては、被告人は当初被害者城井に対して、「実力ピケだぞ、あんたは会社に入れないんだ」と申し向け、城井は被告人らの言動により会社に入ることを諦め引き返そうとしたのであるから、まず被告人らの行なつたピケツテイングの目的はすでに達成されているというべきであり、したがつてその後の行為の目的は、城井が「第二組合に加入した理由を問いただし、また会社が警備員として暴力団を雇つていることおよび第一組合に解雇者が出ていることに関して話合い、同人から意見を徴するとともにこれらに反対の意思を表明する」(一審判決)よう城井を説得し、話合うことに限定されるであろう。そうであるとすばれそれはあくまでも平和的に、相手方の同意のもとに行なわれるべきものであつて、暴力の行使は、絶対に否定されなければならない。

前記判例に従えば、元来ピケツテイングにおける説得は、平和的方法に限られ、「殴打・足げり」などの定型的暴行でなくても、「押し出す」(横浜駐労事件)「押し返す」(嘉穂鉱業事件)などの暴力行使も許されないことが明らかである。本件被告人らの行為も前記のように「両脇下に手をさし入れて抱えあげ前方に引つ張り、後から押し、ひきずる」などを内容とするものであつて、前記判例によれば争議権の行使として許される範囲をはるかに超えた不法な暴力の行使であることは明らかである。しかも本件の場合被告人らの行動は、ピケツテイングそのものではなく、「右ピケツテイングの一環として実行された争議行為」(一審判決)としての説得なのであるから、あくまでも平和的な話合いでなければならず、しかもその話合いの場所の選定のために被害者一人を六名で取り囲み、連行されまいとして極力抵抗する被害者を無理矢理引きずつて行くような行為は、明らかに暴行であつて、右各判例のいう平和的説得の域をはるかに逸脱したものといわざるを得ない。

しかるに、原判決が被告人の本件行為について、外形的には逮捕罪にあたるとしながら、ピケツテイングの一環として実行された争議権の行使であることを理由として逮捕罪の罪責を否定したことは、前記最高裁判所判例と相反する判断をしたものであつて、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は当然破棄されるべきである。

第二点 憲法二八条違反

原判決は、被告人らの本件行為が憲法二八条の保障する労働基本権の行使であるかどうかについて明言はしていない。しかしながら、原判決は、一審判決が被告人ら第一組合員の第二組合員に対するピケツテイングは、争議の過程で第一組合から離脱していつた第二組合員に対して、第二組合を結成しまたはこれに加入した理由を問いただすとともに、解雇問題、警備員排除問題等について話し合い、説得のうえ第一組合の主張に同調を求め、第二組合内において同様の意思表示をするなどの協力を得ることを目的としたものであつて、被告人らの本件行為も「右ピケツテイングの一環として実行された争議行為と認められる」としたことを前提としたうえで、「被告人らが有罪部分をも含め、終始城井との話し合い、同人に対する説得を目的としていたことは疑いない」とし、さらに、「被告人らの守ろうとした利益とその侵害した法益との権衡、労働組合法、刑法を含む法全体の精神からみて」と判示している部分からみて労働基本権の行使であると解しているものとみられる。

ところで、争議行為の正当性の限界について、最高裁判所は、「憲法は勤労者に対して団結権、団体交渉権その他の団体行動権を保障すると共に、すべての国民に対して平等権、自由権、財産権等の基本的人権を保障しているのであつて」……「これ等諸々の一般的基本的人権と労働者の権利の調和をこそ期待しているのであつて、この調和を破らないことが、即ち争議権の正当性の限界である。その調和点を何拠に求めるべきかは、法律制度の精神を全般的に考察して決すべきである。」としている(山田鉱業所生産管理事件についての最高裁判所昭和二五年一一月一五日大法廷判決、刑集四巻一一号二二五七頁)。

原判決も、一応は右の調和論に立つているとみられるのであるが、右調和点を何処に求めるべきかを考慮するに当つて、東洋時計事件についての最高裁判所昭和二九年四月七日大法廷判決(刑集八巻四号四一五頁)は、「憲法二八条の保障する団結権、団体行動権といえども一定の限界を有し……他人に暴行を加え又は他人を脅迫するがごとき行為は右限界を超えたものであつて、団結権、団体行動権の正当な行使ということはできない違法な行為であることは論のないところである。」と判示しており、また、日本ファックス事件についての東京高等裁判所昭和四五年三月二四日判決(昭和四三年(う)七九四号、判例集不登載)は、「暴力は、主として人の生命・身体の自由・安全を侵すことになるのであるから、これらの法益の保障は結局あらゆる他の基本権人権の保障の基礎をなすものとして労働権の行使といえどもこれらを侵すことは許されず、争議行為として暴行罪および脅迫罪に該当する行為が行なわれた場合には刑法三五条により違法性を阻却されるとして刑事免責を受ける余地がない。」と判示しているのであつて、人の生命・身体の自由・安全という法益の保障があらゆる他の基本権人権の基礎をなすというのが、憲法を頂点とする法秩序全体の精神であることは明らかであり、労働組合法一条二項但書の趣旨もまたここにあると思われる。

原判決は、身体の自由、安全に対する侵害の程度が殴る蹴るという定型的暴行に当らないとして、その他の情状を理由に本件逮捕行為の実質的違法性を否定したのであるが、これは基本権人権の保障の基礎をなす身体の自由、安全という法益を軽視し、労働基本権を不当に他の基本的人権より優位に置くもであつて、憲法二八条の解釈を誤つたものといわなければならない。本件における暴行の態様については、前記諸判例に照らしても「暴力の行使」として違法とされることは疑いないところであり、他にも多数の同旨判例がある(大阪此花税務署事件についての最高裁判所昭和四二年六月一三日第三小法廷判決、最高裁裁判集・刑事一六三号五二一頁、猪苗代営林署事件についての最高裁判所昭和四一年一二月二三日第二小法廷判決、判例総覧刑事編二八巻五八一頁等)。

そればかりでなく、本件においては、被害者の身体の自由・安全と対比して論ずべき争議権保障の利益があるかどうかもきわめて疑問である。

従来、争議行為をめぐる刑事事件において、犯罪構成要件に該当すると認められる行為について法益衡量の結果、違法性が阻却されると認められた事例は、争議権の実効性が失われるためにやむなくとられた手段であるとか、組合の団結が破壊されるのを防ぐためやむをえない等の事情が認められる場合が多い。このような場合には、暴力の行使にあたる場合を除いて、組合の統制権の行使など労働基本権保障の見地から法益衡量の必要が認められる場合もないとはいえないのであろう。

しかしながら、本件において被告人側にとつて守らなければならない利益とは何であつたのであろうか。原判決は、これについて具体的に説明していないが、究極的には被告人ら労働者の労働基本権の行使を意味するものと思われる。しかしながら、一審判決は、本件被害者に対し「第一組合の統制権が及ぶものとは解し得ない」とし、さらに「話し合いに応じることを法的義務とし、強制すべき理由を見出し難い」としており、労働基本権の行使として、被害者に受忍を強いなければならないような法益は認められない。一方、「その侵害した法益」は、原判決も明示するとおり、右城井の身体、行動の自由であり、一般的な基本的人権保障の基礎となるものである。そうであるとすれば、被告人らが、本件行為に出なかつた場合に被告人らの労働基本権は具体的にどれ程侵害されるものであろうか。原判決は、「この機を逃すと同人を説得する機会が当分失われることを危惧し」たとしているが、危惧はあくまでも危惧であつて、この機会に説得しなければならない必要性あるいは緊急性は少しもなかつたのであるし、本件において第二組合は、争議離脱者が結成したものであるが、結成後すでに半年以上を経過し、組合員数も第一組合を凌ぎ、自主的な組合としての実体を備えており、しかも第一組合と第二組合間の反目は久しく、両組合員の不信感には、抜きがたいのもがあつたのであるから、説得の効果もまた期待しがたく、いやがらせの域を出ないものであつて、このことは被告人らも十分承知していたはずである。ましてや被害者は、第二組合に移つてすでに半年以上を経過しており、第一組合の過激な闘争方針に追従し得なくなつたためにこれを離脱したものであつて、組合分裂に際して積極的な役割を果したものでもないことは、一審判決も認めているところであり、その行動において何ら非難されるべきものはない。したがつて本件説得の如きも第一組合の構成員に対する統制権の範囲外のことであつて、原判決のいう「説得を有効に実施するための場所の選定」にしても、一方的に被告人らに選定権があつたものではないし、城井においてこれに従わねばならぬ義務はいささかも存しなかつたものである。

したがつて、被告人らの守ろうとする利益は、きわめて抽象的・間接的な、しかも実効の期待しがたい、名目的なものに過ぎなかつたといわざるを得ない。一方城井の侵害された身体、行動の自由はきわめて現実的かつ重大なものであるから、これらを彼此衡量すれば、城井にその受忍義務を認めることはとうていできないであろう。すなわち、本件は、労働基本権と一般的基本的人権との調和を論ずるような事案ではなく、法益衡量などの介入する余地は皆無にひとしいのである。

原判決は「民主社会において人の身体・行動の自由が最大限に尊重されなければならない」とはいいながら、実際は労働者の労働基本権を過当に評価し過ぎた結果、被告人らの本件行為を不当に軽く評価し、また、本件有形力の行使が、典型的な暴力の行使であることは、前記判例に徴すれば明白であるのに、これを看過したため、被告人の本件所為について、逮捕罪の構成要件に該当するとしながら、犯罪の成立を否定したものであつて、憲法二八条の解釈適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすこととなつたのであるから、当然破棄されるべきものと思料する。

第三点 法令違反

一 刑法二二〇条一項および同法三五条ないし三七条の解釈・適用の誤り

原判決には、刑法二二〇条一項の解釈適用および違法性阻却事由に関する同法三五条ないし三七条の解釈適用を誤つた法令違反があり、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと考える。

刑法二二〇条一項の逮捕罪について、原判決がその構成要件ともいうべき、暴行の解釈適用を誤つていることについては、すでに序説二および第一点の一において詳述したとおりであるので、本項では原判決の違法性阻却事由に関する判断の誤りについて述べる。

1 いやしくもある行為が刑法所定の犯罪構成要件に該当する以上、その行為の結果としての法益侵害の程度がいかに軽微であつても、またその意図・目的に酌むべき点があり、その手段方法がさほど積極かつ攻撃的なものでないとしても、刑法所定の違法性を阻却する事由がない限り、それだけではその可罰性を否定すべきでないことは実定法の解釈上当然である。

したがつて、本件においてもその罪責を否定するためには、本件が刑法二二〇条一項にいう「不法」に該当しないかあるいは、同法三五条ないし三七条の掲げる違法性阻却事由が存することが必要であろう。

刑法二二〇条一項にいう「不法に」とは違法性の一般原則を表現したものであつて、逮捕・監禁が適法に行なわれることが少なくないため、とくに注意的に規定されたものであることは通説の認めるところであり、また本件各所為が、刑法三五条前段の「法令による行為」、同法三六条の「正当防衛」あるいは三七条の「緊急避難」にあたらないことは明らかであるので、ここでは本件が刑法三五条後段にいわゆる「正当行為」にあたるか否かを検討する。

ある行為が犯罪の構成要件を充足し、しかも社会通念上許容される限度を超えたものであるときは、いわゆる正当行為にあたる余地がないと解すべきことは、判例の一貫して認めるいるところである(日共党員の公安調査官逮捕、監禁事件についての最高裁判所昭和三六年九月一四日第一小法廷判決、刑集一五巻八号一、三四八頁、舞鶴事件についての最高裁判所昭和三九年一二月三日第二小法廷決定、刑集一八巻一〇号六九八頁)。

人の身体、行動の自田は、民主社会において最大限に尊重されなければならず、いかなる動機・目的があつたにもせよ、これを暴力を用いて侵害する行為は、社会通念上許容し得ないものであつて(板橋造兵廠事件についての最高裁判所昭和二四年五月一八日大法廷判決、刑集三巻六号七七二頁参照)、被害者の身体の自由を暴力をもつて侵害した被告人らの本件行為は、原判示の表現をもつてすれば、明らかに社会的常軌を逸したものというべく、刑法三五条後段にいう正当行為にはあたらないことは明らかである。

2 原判決が無罪の理由として判示する「被告人らの守ろうとした利益とその侵害した法益との権衡、労働組合法、刑法を含む法全体の精神からみて……中略……犯罪として処罰するに足りる実質的違法性をいまだ備えていないと解するのが相当である。」という表現は、曖昧であり、その意味するところは容易に理解しがたいところであるが、それが刑法所定の違法性阻却事由(刑法三五条ないし三七条)以外の事由から違法性を否定するものであることを意味するのであれば、このような見解は、明確なるべき構成要件に法益権衡とか、法全体の精神といつた抽象的かつ不明確な要素を導入して犯罪を類型的に確定するという構成要件の本質的機能を無視することとなり、あるいは刑法三五条ないし三七条以外に超法規的に違法性阻却事由を設定し、刑法秩序の混乱を招き、社会生活その他の法的安定性を損うこととなるものであり、ひいては、罪刑法定主義の趣旨にももとることとなつて、実定法の解釈としては、到底容認しえないものである。

二 実質的違法性について判断の誤り

可罰的ないし実質的違法性阻却についての学説は、甚だ多岐であつて一概には論ぜられないが、要するに、形式的に犯罪構成要件に該当する行為であつても、その行為の動機、目的が健全な社会通念に照らして正当であること、手段方法においても相当であつて、法益権衡の要件を具備し、その行為に出ることが緊急やむを得ないものであつて、他にこれに代わるべき適当な方法がなく、またその行為をめぐる具体的情況の一切を考慮しても、法秩序全体の精神に照らして許容さるべきものである場合には実質的違法性を阻却し、可罰性がないというものと解せられる。

もし、このような見解を容認し、実質的違法性が阻却される場合がありうるとしても、刑法が緊急やむを得ない特殊例外の場合として明定している正当防衛、緊急避難の場合においてすら、防衛または避難行為が違法性を阻却されるためには、その行為が真にやむを得ざるに出でたることを要するなどきわめて厳格な要件を定めていることにかんがみ、みだりに違法性阻却の要件を緩めるべきではなく、刑法の規定するところと同等もしくは、それ以上に厳格な要件の下にこれを認むべきことが法解釈の根本原理であるといわなければならない(舞鶴事件についての東京高等裁判所昭和二五年一二月二七日判決、刑集一八巻一〇号九〇九頁参照)。

このような見地から構成要件に該当する行為について違法性ないしは可罰性を否定する場合があると考えるとしても、それはきわめて特殊例外の場合に限られるべきことは当然であつて、その判断基準として被害法益の軽微、動機目的の正当性、手段の相当性、補充性、法益の権衡等諸般の事情が考慮されなればならないのはもちろんであり、その運用は慎重のうえにも慎重を期し、かりそめにも恣意的な判断に流れて、法秩序全体の精神に背馳する結果をきたすことがないように厳に戒心すべきものであることは論をまたない(大蔵省前坐り込み事件についての東京高等裁判所昭和四四年一二月二二日判決、判例時報五八九号八六頁参照)。

原判決は、前述のごとく本件行為が外形上逮捕罪に定める構成要件に該当することを一応肯認しながら、その実質的違法性を否定しているのであるが、本件行為の実態は、原判決のいうごとく法益侵害の程度が軽微なものではなく、その目的の正当性もいわば一方的なものであつて決して絶対視すべきものではなく、講学上のいわゆる手段の相当性、緊急性、補充性、法益の権衡等の観点からも社会通念上許容される限度を遙かに超えるものであつて、実質的違法性を否定すべき合理的理由は全く存しない。

以下にその理由の詳細を述べる。

1 被害法益について

民主社会において人の身体・行動の自由が最大限に尊重されなければならないことは原判決も認めるところであり、本件被害者城井個人の身体および行動の自由を取り上げてもその被害は決して軽微ではない。

しかも原判決は、一審判決が有罪と認定した部分のみを局部的にみて被害の程度を論じているが、かかる考察は不十分かつ誤りであつて、弁護人も主張し原判決も認めるように、本件の判断にあたつては、一審判決の有罪部分と無罪部分を有機的に関連づけて理解する必要がある。右の無罪部分が逮捕罪を構成しないとしても、被告人による本件逮捕の行なわれた前後の状況をも考察の対象に加え、全体的な状況からして城井の受けた被害の程度を考察すべきであり、城井が両部分を通じて一貫して強い恐怖感を訴え、現実にその身体および行動の自由を失つていたことを直視すればその被害は決して軽微ではないことがあまりにも明瞭である。

原判決が城井の本件当時の心境につき、「当時城井が第一組合員と率直に話し合えるような立場・心境になく、たとい求められても、城井としては、何とかそれを逃れようとすのが自然の成りゆきであつたと思われる。」「城井の証言は、弁護人の主張するように、必ずしも意識的に本件における被告人らの言動、これに対する自己の恐怖感を歪曲・誇張したものとは考えられない。」「したがつて、城井の恐怖感は恐怖感とし」等と判示しているところからすれば、原判決も、一審判決の、「被告人らの判示所為をみるに、その態様は前示認定のとおりであつて、城井が強く拒否の意思を表明していることが明らかであるにもかかわらず、三名において手をかけ、物理的な力を用いて二三〇メートル余り連行する間同人の身体を拘束し続けたものであり、……その間域井はその身体および行動の自由を現実に奪われ、同人がこれによつて受けた恐怖は、被告人らの予想をこえていたとは思われるが、多大であつたことが認められる。」との認定を否定するものとは思われない。ただ原判決は、「城井の恐怖感ないしこれについての供述には、いささか異常なものがあるように思われる。」と判示しているが、この点については「この恐怖感がどのような性質の、どのような事情を背景にするものであるかは暫くおき、」としたままで、何らの解明を加えていない。

このように、城井の恐怖感が多大であつたことを肯認しながら、ただいささか異常なものがあるように思われるとするのみで、何らその点について解明することなく、直ちに被害が軽微であると結論づけることは、論理の飛躍であるといわざるを得ない。

出社阻止の単なるピケツテイングとしか予想していなかつた被害者が、日頃から反目している被告人およびその支持者五名(うち一名が女性であつたにもせよ)にいきなり取囲まれ、極力抵抗するにもかかわらず、両名の者に両脇から抱え上げられ、一名の者に後方から押されて行動の自由を奪われ、連行されて行く場合、被害者城井として強い恐怖感を抱くことはむしろ当然であり、何人でも首肯できるところであつて、これを異常と非難するのは不当である。原審はそれが通行人のあつた公道上で午前七時四〇分ごろより八時一五分ごろまでに行なわれたことを指摘しているが、現今の大都会の通行人の無関心を考慮すれば、当時の城井の心境は十分理解できるところである。たしかに一審判決が無罪とした本件連行行為の後半段階における城井の言動には、いささか異常と思われる節がないではないが、長い距離をあちこち引き廻わされ、神経を消耗しつくしての結果であることを考えれば、あながち異常ともいい切れないものであつて、これをもつて、前半段階(一審有罪部分)の同人の恐怖感を異常視することは許されないであろう。

また、原判決は、本件有形力の行使が「きわめて短時間のもの」にすぎない旨を強調している。しかし本件は前述のとおり、一審判決が無罪と認定した部分をも含めて午前七時四〇分ごろから八時一五分ごろまでの約三五分に亘つて行なわれたものであつて、一審が有罪と認めた部分の時間は明確ではないが、二三〇メートルの距離を連行する間の時間があつたことは明らかであつて、これを監禁罪をもつて問擬するのであれば兎も角、逮捕罪を論ずる場合、必要かつ十分な時間的継続があつたものということができる。

以上で明らかなように、本件における被害法益の侵害はきわめて大きなものであつて、決して軽微とすることはできない。

2 目的の正当性について

本件行為の目的については、すでに第一点の三において詳細述べたとおりである。すなわち、原判決は、被告人らは「終始城井との話合い、同人に対する説得を目的とし」ており、どこか警備員の妨害の及ばない場所で同人に対する説得を有効に実施するための場所を選定するために本件行為に及んだものと認定している。そうであるとすれば、前述のとおり本件の目的が労働基本権の行使に関するものであるとしても、きわめて間接的なものにすぎず、また、この目的の正当性の有無はあくまで現実に行なわれた行為との関係で相対的に検討される問題であり、さらに原判決も認定するとおり目的が必ずしも手段を正当化するものでないことを考えれば、本件においては被告人らの目的の正当性を余りにも過大に評価するのは誤りである。

3 行為の態様について

本件行為の態様については、序説一および第一点の一において述べたとおりであつて、被害者に対する不法な有形力の行使であることは明らかである。

原判決は、被告人らがこのような行動に出たのは城井が会社の付近まできながら、被告人らの待機している状況を見て引き返しかけたことから、この機を逃すと、同人を説得する機会が当分失なわれることを危惧したためであるとしているが、被告人らの右言動により城井はそれ以上会社に近づこうとせず音羽通りを今来た南の方に引き返そうとしたのであるから、被告人らの目的の一部は達成されたというべきであり、ピケツテイングが平和的説得の範囲に限られることからすれば、それ以上に実力を行使することは相当ではない。「説得を有効に実施するための場所の選定」についても、被告人と城井の立場関係からすれば、被告人らの側に一方的に選定権があるとは考えられないし、仮に警備員の妨害を考慮しての緊迫した特殊な事態であるとしても、会社前から音羽通りを横切り金輪マンション工事現場……との経路を取らねばならぬ必要はなく、引き返した城井を追尾して音羽通りを南に向つても同様であり、もしそのような経路であれば、あえて被告人らも本件のような実力行使に及ぶ必要もなかつたのではないかと思料される。さらに、本件行為は、一審判決が認定しているように、本件行為の前日である昭和四六年二月三日の第一組合といわゆる光共闘の会議において決定され、これに従つて集合した被告人らが行なつたもので、決して原判決のいうように偶発的なものとはいえないことは明らかである。

以上の諸事情からすれば、原判決が本件行為の態様について、「社会的常軌を逸した危険な反社会的行為といえるかどうか頗る疑わしく」としていることはまさに不当な評価であつて、本件行為は社会的常軌を逸した危険なものであつて、不法なものであるといわざるを得ない。原判決が被告人らの本件所為について「穏当を欠く点があつたことは否定しがたく」「短兵急にすぎて不穏当のそしりを免れず」と判示しているのは、まさにこれを表わしているものにほかならない。

4 法益の権衡について

法益の権衡についても第二点において詳述したとおりであつて被告人らの守ろうとした権利は抽象的、間接的な、しかも実効を期待し難いものに過ぎず、一方城井の身体、行動の自由の侵害は現実的なものであり、その程度はきわめて高度のものであつて回復し難いものであつたことは明らかである。従つて被告人らの守ろうとした利益とその侵害した法益を比較した場合、後者の侵害の程度がはるかに大であつて、権衡を失していることは明白である。

5 緊急性について

原判決は、被告人らが本件行動に出たのは、この機を逃すと同人を説得する機会が当分失われることを危惧したためであるとし、その行為に出るについて緊急不可避であつたと認めているようである。しかし、光労組から第二組合が分裂し、本件被害者である城井が第二組合に移つたのは昭和四五年六月のことであつて、本件当日をさかのぼること半年以上前であり、原判決も認めるように第一組合と第二組合との反目は久しく、両組合員の間の不信感には抜きがたいものがあつたことからすれば、城井に対するピケツテイングに際し、どうしてもその機会に説得しなければならないわけではなく、この機を逃して同人を説得する機会が失われるとしても、それはその時点においてのことであつて、その機会が永久に失われるというほど緊急な事情はなかつたと認めるべきであり、被告人らが本件行為に着手した際、光文社屋内にいわゆる警備員が待機していたとしても、まだそれが出て来て排除にあたる状況にはなかつたことが明らかであるから、被告人らは、城井に対し、まず同行を求め促すべきであつて、本件の如き突然の行為に出なければならない緊急性があつたとは認められない。

以上述べたように被告人の本件所為は法益侵害の程度も決して軽微といえず、その動機、目的の正当性も認められず手段、態様の相当性、緊急性も欠き、被告人らの守ろうとした利益とその侵害した法益を比較しても権衡を失し、とうてい社会通念上許容できないものであつて、諸般の事情を考慮しても実質的違法性を阻却するものではない。

以上詳述したとおり、原判決が本件所為を刑法二二〇条一項の「不法に人を逮捕した」という犯罪として処罰するに足りる実質的違法性をいまだ備えていないとして、犯罪の成立を否定したことはいかなる観点からも誤りである。原判決は究極において刑法二二〇条一項および違法性阻却事由に関する同法三五条ないし三七条の解釈を誤つた違法があるというほかなく、右法令の解釈適用の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

結語

以上のいずれの点よりするも原判決は破棄を免れないものと思料する。

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